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「愛のメモリー」(あいのメモリー)は、歌手松崎しげるの楽曲である。1977年の8月にビクターレコードからシングル盤が発売された。 == 解説 == 1976年、ビクターレコードのディレクターがスペインのマジョルカで開催される「マジョルカ音楽祭」を知り、音楽祭参加のために楽曲を制作することを決意する。同音楽祭は、当時注目をされていたヨーロピアン・ポップス界の登竜門的存在であり、審査員はフランシス・レイ、ポール・モーリア、ミシェル・ルグランなどの作曲家である〔1975年、「第1回マジョルカ音楽祭」でしばたはつみが準優勝。優勝者には「東京音楽祭世界大会」へのエントリーが優先される。〕。 ディレクターの意向により、それまでにないスケールの大きな楽曲が製作されることとなり、歌手として白羽の矢が立ったのが松崎しげるであった。フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を念頭においた、ラブ・バラードが最適とディレクターは判断し、作詞をたかたかし、作曲を馬飼野康二に依頼する。たかは「万葉集」の一節から、藤原鎌足が妻をめとったときに詠んだ一節を元に、また馬飼野は、ヘンリー・マンシーニの「ひまわり」を念頭に置き楽曲を完成、「愛の微笑み」と名づけられた。 音楽祭では、より曲を印象付けるため、サビをスペイン語にするなどの手直しが施された。本番では松崎の圧倒的な歌唱力とステージ・パフォーマンスにより、松崎自身に最優秀歌唱賞を、総合では第2位を記録する。しかし、日本での対応は冷ややかであった。各種メディアも、音楽関係者も松崎の受賞を気にも留めなかった。また、楽曲そのものに関しても注目が集まることはほとんどなく、松崎自身がテープを持参して曲の売込みを行なうこととなるが、売り込み自体も困難を極めた。 やがて、松崎はかつて仕事をした関西のCMプロデューサーの元を訪ねる。その際に、サビの部分に興味を抱いたプロデューサーの意向により、江崎グリコのアーモンド・チョコレートのコマーシャル・ソングとして起用されることが決まった。1977年、話題のカップルであった三浦友和と山口百恵の共演するコマーシャルソングとして登場した「愛の微笑み」は注目を集め、同年8月に、やや歌詞を改変して「愛のメモリー」としてリリースされる。 同年暮れの『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場。また、翌1978年春の第50回選抜高校野球大会の行進曲にも起用され、開会式のゲストに呼ばれた松崎は、かつて高校球児の頃に怪我のため断念した甲子園球場へ、楽曲での出場を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「愛のメモリー (曲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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